血縁

親子って、むずかしい。これは自分の永遠の課題。うまくいきそうで、いかない。

そもそも違う人なんだから、価値観違って当たり前なのに、親子だとそうすんなり納得いかない、受け入れられない、、本当にもどかしくむずかしい。

一つの家の中、長く過ごしたからといって、以心伝心なんてできる訳ない。それでも、それくらいわかるでしょ、というすれ違い、ぶつかりあいに悩み続ける。

ああ、私は日常生活を送るのが下手だし、苦手だ。家族のモヤモヤはどう処理するのが1番いいのか何年も掴めないでいる。そして動けなかった時間への後悔で押し潰されそうになり、全てを捨てて逃げ出したくなる、結果何もしない、その結果にまた気を落とす。

あと何年生きたら、いや、あと何回生まれ変わったら、少しは上手になるんだろう。

この無駄に悩む、いや考えるだけに逃げて何もしたくないセルフ引きこもりごっこみたいなつまらないやり方をいつになったら卒業できるだろう、

誰も助けてくれる訳ないし、こんな小さなことを悩みだと思う人もいないだろうな、

そしてまた、液晶画面と窓の外の雨を見るだけの静かでも穏やかでない夜を過ごす、本当どうしようもないな。

言い聞かせるように吐き出す

いくつになっても前に進む。進むことができる。小さくてもわずかでも。

やっと、ちょっとだけ体感してる気がする。

できれば何も挫折せず、キレイに進んでいくことが素晴らしいと思って、

躓かない方法をなんとか試行錯誤して、結局何もできずに終わる。

挫折する前に避けて逃げる。逃げた事実からも目を逸らす。陰で落ち込む。

いつからか、それが頭がいいと思い込み信じてしまってた。

予習は大事だけど、やって試して解らなきゃ、妄想だけで終わる、終わってきた。

今でも失敗した時の、恥ずかしさ、虚しさ、劣等感、悔しさは怒涛に押し寄せてくる。

できればスムーズに成功したい。

足りないものを、まやかしで誤魔化さずに、学ぶ、鍛える、磨いていく。

もっともっと早くやればよかったけど、、今からでもやればできる、できるようにしていけることを、楽しいと実感したい。

あるものに感謝する、ありきたりでも、普段はできない、やれていない感謝。

カラダがある程度元気なら、それもしあわせ。考える時間があるのは、しあわせ。

やれる環境があるのは、気付けたらしあわせ。

言い聞かせるように吐き出してみるのも、なかなかいい。楽しいかもしれない。

これもまた、新しい気持ちで、しあわせなんだろうな。それが、ありがたい。

できた!うれしい! そんな実感をたくさんしたい。

どうしても

どうしても、何をどうしても許し難いというか受け入れ難い人がいる。

それは自分の器、性格の問題なのか、もう無理なのか、努力すべきなのか。

関係性で考えれば、自分が折れて、スムーズにやり取りできるようにしたら、それで済む。

でも、どうしてもそうしたくない。なぜこちらが折れて譲る必要があるのか、負けるような気持ちが許せない、というのが近いのか。

本質はもっと小さな問題、問題にもならない問題とも思えるのに、許せない。許したくない。

 

解決のヒントになるかもしれないものを見かけた。心理学と脳科学で解き明かす。

素人がゼロから学んで、いつになるのか、なんになるのか、それでもすがりたいくらい、糸口が欲しい。そう、苦しい。

この苦しさがなんなのか、小さいのか、もう無理なのか、客観的な見方を知りたい。

この足枷なのか、十字架なのか、小さい石なのか、なんでもいいから楽になりたいだけなのか、少しでも早く何かを見つけたい、そんな雨の夜でした。